ジョグ練(八甲田雪中行軍遭難事件)

2025年12月27日(土)

昨日で仕事納めして気分はアゲアゲ。(お仕事の方々はお疲れ様です)

とりあえず一カ月(も)前から予約してた歯医者さんに朝9時からメンテナンス(主に歯石取)してもらう。

受け付けで保険証を見せるが「マイナンバーカードありませんか?」と言われた。心の中で来年3月末までは使えるはずと抗議したかったが、後ろの人もいたので素直にマイナンバーカードを提示。

「そちらの機械にカードを入れてください」と言われ入れ、機器に挿入したら画面にカードが読み取りできませんでしたとエラーメッセージ。(だからアレなんだよ)

なんやかんやして上手く動作した。(結局、保険証を出すより時間が掛かって後ろの人に迷惑が掛かってしまった。こんなことだからマイナンバーカードの普及率が低迷するんだろうな)

呼ばれるまで本を読んで待機。今まで本田宗一郎さんに関する著書は複数読んだが、ご本人が書かれた本をゲットする事ができたので読んでいます。(本を読まない事で有名な方なのに、まさか出版してたとは夢にも思わんかった)

令和になっても先人が思いを馳せた事はまったく揺らいでなく、ハッとさせられる事がある。

呼ばれて歯をチェックしてもらって(特に問題なくてよかった)歯石を取ってもらって終了。いつも3カ月ぐらいで来いと言われ続けたが、歯の状態がいいので半年間隔でいいよとお褒めの言葉を頂き帰宅。(芸能人じゃなくても歯は大切に)

配偶者と娘は用事で家を空けているので、一人で大掃除を開始。気になり始めるとドンドン永遠に掃除が終わらなくなる沼にハマる。

特にインスタとかで洗面所の蛇口はバラシて重曹につけろとか、水回りは台所のシングルレバーは分解してレバー本体を掃除しろとか、脅迫概念を植え付けられそうになり気分転換に洗車に出かけた。

もちろん大行列になってたが、車でネトフリを見ながらマッタリと洗車機の順番待ち。その後はローラー台で乗っているロードバイクをメンテ。なんやかんやでアッと言う間に一日が終わった。(後悔はしてない)

2025年12月28日(日)

朝一からジョグにでも出かけようと思ったが、寒いので日が昇った8時頃から窓や網戸を拭いてみる

どうせ直ぐに汚れるので網戸は適当に拭いた。窓も適当に拭こうと思ったけど、吹き残しが意外と目立つ。てか綺麗な所と吹き残しの差が激しく出るので、なんやかんやで徹底的に拭いた。結局2時間近くかけて全部の窓を拭いて疲れた。(エヘン)

ただ、網戸や窓が綺麗になると窓が閉まっているのかわからないくらい綺麗になるのでスゲー気持ち良く(ドラマ:逃げ恥でもこんなシーンあったな)なって、やってよかった。

思い当たる所は大体掃除できたので、存分にジョグができる。

オーストラリアが見え・・・ないね

15時前の高知市から見た太平洋の様子。気温13℃。日向だとさほど寒くなく、海岸では愛犬とお昼寝してる人など、お散歩日和。

チョイ前から故障復帰でユルユル走り始めた。てか12月はほぼ走れなかったので龍馬マラソンに向けて1mmも余裕がなくなったのでこの正月は頑張り時だと気合を入れる。(昨日は掃除しかしてなかったが)

久しぶりのジョグは気持ちい

走ってるとちょっと暑いくらい。ペースは気にせずフォームを気にしてジョグを淡々と続ける。

とりま10km走れたのでヨシとする。

閑話休題

映画 八甲田山を見た。

キャストは大御所がゴゾッと並んでる。

徳島大尉:高倉健、神田大尉:北大路欣也、倉田大尉:加山雄三
神田はつ子:栗原小巻、徳島妙子:加賀まりこ、滝口さわ:秋吉久美子
山田少佐:三國連太郎、村山伍長:緒形拳、三上少尉:森田健作、児島大佐:丹波哲郎

この映画は

この著書を原作に映画化されたものである。話が脱線するが会社の経営アドバイザーがリーダークラスは読んどけといわれて読んだ。

映画や著書の感想の前に八甲田雪中行軍遭難事件とは1902年1月23日から25日にかけた対ロシアとの戦争に向けての演習の一環に行われ、210人中199人が死亡した世界最大の山岳遭難事故を著者の解釈の元に作成された物語である。

ウィキペディアを読めば詳しく解説されているが、文章が長いので自分なりに時系列に並べてみた。

八甲田山死の彷徨の付録より

まずルートだが青森市の基地を出発し片道約21kmの田代温泉(青線)へ1泊2日で計画される。(グルっと囲われた赤線は後述)

隊編成は編成外の外特別移動大隊本部(隊を監督)を含め210人。その中にはソリで食料などを運搬する部隊も含まられる

1月23日 午前6時55分 青森を出発 ー6℃ 積雪90cm

青森歩兵第五連隊の指揮官で中隊長 神威大尉の号令で田代新湯へ出発。序盤は人通りもあり道も平坦&踏み固められているので順調に進む

午前7時40分 幸畑(3.3km)

村の人に「冬の八甲田山にはいかない方がいい。どうしてもいくなら案内人を付けた方がいい」忠告されるが、編成外の大隊長 山口少佐が指揮官の神威大尉に相談なしで断る(地獄の始まり)ここからはほぼ登り

午前11時30分 小峠(10km)

昼食。標高が高いせいもあるが気温が下がって、各自持参したオニギリや餅が石のように凍って食べれない。残り約10kmで隊員たちも1食位抜いても問題あるまいと楽観的(山を舐めたら死ぬぞという言葉はまさにこの事)

午後16時 馬立場(16.4km)

傾斜がさらにキツクなりソリ隊が大きく遅れ隊列が乱れる。ソリ隊への応援部隊を派遣。天候がさらに悪化するが残り距離を考慮。進行するか帰営するか判断に迫られるが、大隊長 山口少佐前進する事を決意(プライドが許さなかった)。日没後も満月のお陰で進行を続行。

午後20時15分 平沢 (目的地まで残り1.5km

流石に暗くなり、猛吹雪で田代新湯までの道がわからなくなり露営(当然、屋外で泊まる事なんて想定外の事態)

深さ2m 6畳ほどの穴を5つ掘り立ったまま休憩。雪は深く掘るのを諦め雪上で晩御飯の準備。窯がひっくり返ったりしながら生煮えの米をなんとか食べる。

(翌)1月24日 午前1時

気温ー20℃で疲労も溜まって来た中、大隊長 山口少佐が「このままでは凍死してしまう。帰営だ!」命令するが、中隊長の神威大尉が「夜が明けるまで待つべき」と反対する。しかし大隊長の命令で帰営決定目的地の目の前まできて帰路とか正気?しかも、あなた指揮官じゃないよね?)し、出発の準備にかかる。

午前2時30分 帰営開始

猛吹雪で顔を上げて進む事ができず、完全に方向を見失ってしまう
中には低体温症にかかり凍傷になってしまう兵もあらわれる。体力の無いものは極度の疲労と不眠により幻覚を見始め、錯乱して踊り始める者、精神的に異常をきたす者が現れ始める(人って本当にそうなるんですね)

時刻不明 帰営中

兵の中に「田代新湯までの道を知っている」と進言する兵が現れる。大隊長 山口少佐はこの言葉を鵜呑みに、帰営から方向転換(方針をコロコロ代えるとか正気か?)し、再度、田代新湯へ移動開始

この判断でさらに迷走し本来、無いはずの川に遭遇し進行できなくなる。とりあえず協議の結果、昨晩露営した場所に戻る事するが3時間・5時間・10時間経っても戻る事ができず、兵はドンドン雪上に倒れていってしまう(この世の地獄)

完全に遭難

午後17時 二日目の露営

露営地を出発して15時間彷徨って実際は直線距離にして700mしか移動してなかった(それだけ悪天候中移動する事は困難)体力も限界で野ざらしの窪みで露営

(翌)1月25日 午前3時 再出発

どうにか帰路を探すが迷走。時刻は不明だが有名な言葉「天は我れらを見捨てた」指揮官の神威大尉が叫ぶ。続けて「夕べの露営地に戻ってまくらを並べて死のう」と言うと、最後の気力で頑張ってた兵が次々とその場で倒れて亡くなっていく(リーダーが諦めたら終わりの始まり)

午前5時30分 場所不明

210人の隊員が60人ほどに減っていた

午前7時 場所不明

天候が少し回復(やったね)本部隊は待機し動けそうな隊員を集め2部隊を編成。帰路を探しに出させる(やっとまともな指示が出される)

午前11時

帰路が見つかったと捜索部隊が戻り、本部隊は再出発。しかし実際は森の中を彷徨う。さらに兵が少なりなり隊はバラバラに。その後は各個人の判断で行動し記録もあいまいになる。

時刻不明 青森市の基地本部

本来は24日の戻るはずの部隊が戻らなかったが、25日は天候も大分回復(青森市から見て)したので「田代でもう一泊してるんだろう」楽観的に構える。なんなら夜には送別会を予定通りに開催する。(もう言葉がない)

(翌)1月26日 青森市の基地本部

流石に連絡もなく戻ってこない第五連隊の捜索準備にかかる。しかし、まったく準備がないので露営の準備や食料の調達・案内人の手配に戸惑り時刻不明になんとか救助出発

(翌)1月27日 10時頃

直立不動で仮死状態になっている後藤伍長を発見(そんなことある?)
奇跡的に意識を取り戻した後藤伍長が「他に生存者はいない。皆、死んだ」と発言。その後方で神威大尉を凍死で発見。救助隊はこの言葉を鵜呑みにして更に捜索が遅れた(実際は生存者はまだおり、地獄がつづいていた)

(翌)1月30日 青森市の基地本部

天候悪化もあり本格的な捜索がやっと始まる。後藤伍長の後に16名を救助。山口少佐も生還するが凍傷が酷く2月2日に死去。

ざっくり(これでも短くしたんです)書いたらこんな感じ。原因を大きく4つに分けると

予行練習との違い
実演の1週間前に少人数での予行練習を実施。しかし晴天に恵まれ距離も半分まで(平地メインの場所)しか練習せず、ソリを使用するのは難しくないと判断。(※)
実際は多くのソリを使ったのが間違い。登りに差し掛かるとソリの運搬は困難を極め時間を費やす。しかも多くの兵の体力をも奪った

(※)道中の村人に田代新湯について「4~5件の小屋がある」と情報を得る。実際は小屋と言っても着替えが出来る程度の建物で210人が宿泊するなど到底無理。しかも渓谷の中にあって雪深い冬には見つけるのも苦労する小ささ温泉。どの道、ゴールの田代温泉に到着できも生還できる保証はなかった(これを人災と言わずしてなんというか)

天候の悪化
たまたま寒波に襲われ、平地でも最低気温ー9℃まで下がった。高地ならなおさら気温が下がって記録的な寒さ。暴風雪でホワイトアウトで道を見失うが、プライドを捨てきれず前進した

準備不足
正式に発表したのが出発二日前。しかも行軍が片道21kmで目的地が温泉ということもあり、通常の訓練着より薄手だったり、所持品が手ぬぐいしかもってない隊員もいた。(舐め切っていた)服装も綿の生地の薄手を着用。靴もわら靴で防寒性が劣っていた

指揮系統の乱れ
本来なら指揮官である中隊長の神威大尉が指揮を取るべきだが、前進か露営か帰営するのか常に大事な決定を下したのは編成外の大隊長 山口少佐。神威大尉に相談せず指揮してしまった。生還者の証言では、山口少佐は寒さの為、明瞭さに欠けていた

こんな感じです。書くのを疲れたので映画と書籍に関してサクッと感想

映画

高倉健さん

3時間近くある。そのうち肌感だが1時間ぐらいは猛吹雪&暴風の中、ただただ歩くシーンが観ていて寒そう

驚いたのは雪崩に呑まれるシーン(たしか実話にも原作にもなかったと思うが)があって、「あれ?CGなのか?・・・」とちょっと驚いたが、ウィキペディアを見ると、ダイナマイトで雪を爆破して上空からの雪を被るという極めて危ない方法で撮影されたようです。

著書

八甲田山死の彷徨の付録より

冒頭に書き記したが、悲劇が起きたのは青ラインを軍行した青森歩兵第五連隊。実は、外周の赤ラインを全くの別部隊の弘前歩兵第31連隊10泊11日 総距離224kmを同時期の1月20日から1月31日まで行っており、著書は双方の交流を交えて描かれている。

こちらの弘前歩兵第31連隊は少数精鋭の37人を選抜。

行軍の1カ月前に命令し寒さ対策をできうる限り実施。さらに行軍で通る市町村へ食料・休憩・宿泊の協力を要請。特に道案内人の手配は怠らなかった。

結果的に全員(厳密には一人はトラブルが発生し途中から汽車で帰路無事に帰還(映画では高倉健さんはこちらの隊長さんを演じてる)

映画だとわかりにくいシーンも多いので、書籍で読むことをお勧めします

ビジネスシーンでよくある「社長が言うからしょうがないよね」的な状況でも、最善策を尽くすような幹部を目指したいと思う。

ジョジョ5部 ブローノ・ブチャラティ

個人的に好きなセリフです。

閑話休題

飾りはスーパーで買ってきた

今年は物価高で「クリスマスケーキは高いから作る」という方針が打ち出され(驚き)、配偶者&娘がチーズケーキを作ってクリスマスを楽しみました。(全部で1,500円もかかっていないらしい。美味しいから最高なんだけど)

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